煙が目にしみる
久しく泣いた記憶がない。
男たるもの涙は見せるな、とか云われて育てられたわけでもなく、感情が麻痺してる
わけでもない(と思う)のだが、涙は出ない。
欠伸をすれば涙が出ることもあるので涙腺が壊れているわけでもない。映画を観て感
動もするし、悲しいニュースを聞けば心が痛む。
そもそも人が、それも大の男がどれくらいの頻度で泣いているのか知る由もないが。
感情が高ぶった時に、人は何故涙を流すのか? その問いへの答えを探求した人がいる。生化学者のウィリアム・フレイ二世(William H. Frey II)は、涙は感情的緊張によって生じた化学物質を体外へと除去する役割があるのだろう、という仮説を提案した。この生理学者は自身の仮説の妥当性を調べるために実験をしてみた。実験の内容としては、被験者に、いかにも涙を誘う映画を見せて収集した涙と、同じ被験者にタマネギをむかせて収集した涙の、成分の比較をするというものであった。80人あまりの被験者の涙の比較は(この時点の実験で用いられた検出能力でも、少なくとも)感情による涙は、刺激による涙よりも、より高濃度のタンパク質を含んでいるということを示していた。
なるほど、感情の高ぶりが足りないのか?それとも自意識過剰の故か?
泣くほどの悲しい目に遭っていないと思えば、それはそれで幸いだが、逆に涙が出る
ほどの感動を味わっていないのなら寂しくもある。
徳光さんや織田信成のように泣きすぎるのもどうかと思うが、人間たまには泣きたい
ではないか。
「泣いてんの?」
「煙が目にしみただけ。」
てな会話を交わしてみたいものだ。
それも嬉し涙で。